多くの悩みは社会を前提にしているから起こっている
多くの悩みは本来不要?
生きることは本当はとってもシンプルなので、
現在抱えている悩みは本来は必要のないものかもしれない。
だから本当は悩むことは必要がないかもしれない。
原始的な生活の上に資本主義社会が乗っている
人間は本来その他多くの動物と同じで、
寝て、起きて、食べて、また寝るの繰り返しで生きていくはずですよね。
もちろん食料を調達する、寝床を確保するなどのその他工程もたくさんあると思います。
これだけの生活ですら、いろいろ考えないことがあります。
にもかかわらず現代社会はこれに資本主義社会という構造がのっかってしまっています。
生きているだけでお金というものが必要になり、
お金を手に入れるために仕事を探したり働いたりする必要があります。
資本主義社会で生活をするというだけで様々なルールと人間関係が必要になり、
完全に隔離した生活を送ることは難しいでしょう。
多くの人が抱えている悩みや不安は多分ほとんどそこから発生していると思います。
「獣や魚が獲れなくて食べ物が無い」「この寝床では夜中に熊に襲われるかもしれない」
といったような悩みを持っている人は少ないはずです。
原始的な生活と資本主義社会の生活を分けて考える
となればいま抱えている悩みが本質的なものなのかどうかはっきりしてきそうです。
本質的な悩みであれば、悩んで解決する必要があるかもしれません。熊に襲われて死ぬ可能性があるなら対策をするべきです。
でも会社の中での立ち位置や将来の収入への不安などは、
資本主義社会という構造の上でのみでしか成り立たないので本質的ではありません。
その構造から出てしまえば維持されない悩みだからです。
でも資本主義社会という構造そのものから出ることは現実的には難しいですよね。
ただ会社から出たり生活環境を変えることはあまり難しく無いと思います。
会社から出たり生活環境を変えたら死ぬ、ということも無いと思います。
いま抱えている悩みが本質的なものなのか、作られた仕組みの上でのみ成り立つものなのか。
そう切り分けて考えるとひょっとすると楽になるかもしれないですね。