終わりなき地方創生、地域振興、地域活性化
今回は地域活性活動の目的について考えてみました。
きっかけは「関係人口について書いてみようー」と思って情報収集をしたことです。
自分の目的は「都市部と地方の人口さを縮める」ことなのです。
でも「これでもう安心」というタイミングってきっと来ないよな・・・、
とあらためて感じたのでそのことについて先に書こうと思いました。
どうしていくのが正解なのかな、
とまだ悩んでいる胸のうちをアウトプットしてみます。
それではどうぞ。
地域活性化にはゴールがない
先にも書いたとおり、
地域活性化ってきっとゴールが無いですよね。
都市部と地方の地域差がほとんどなくなったらゴールのか?
でもそれを維持できるかどうかが分からないので、
維持をするために地域活性化の活動を続けることになりそうですよね。
地域活性化って本質的なのかな?
地域活性化をしなかったらどうなるのか?
地方の人口が減ると何が困るのか?
調べないといけないことが多いので全ての結論を書くことはできませんが、
一度ゼロから考えてみたいと思います。
一度ゼロベースで考え直してみる
地方の人口が減っていくと、
おそらく確実にその地域は機能しなくなって無くなってしまうと思います。
実際にそうなった地域もあると思います。
そして自分の住んでいる地域が無くなるのは寂しいです。
子供が大きくなる過程で人口が減っていき、活力が無くなっていき、何らかの影響があるかもしれません。
一度原始的な社会から考え直してみたいのですが、
本来人間もひとつの動物で、飢えをしのいで外敵から身を守って生きていくのが基本のはずです。
集団生活を送ることは人類の特性でもあると思うので、
そこでいくつかの集落ができたり役割が発生したりするのでしょう。
でもその時点では、
一つの集落が無くなってもなんの問題もなさそうですよね。
では文明が発展していき、どの時点で「地域が無くなると困る」状態になるのか?
貨幣社会になって国や地域が経済のもとに成り立ち始めてから?
この内容を書こうと思ったらもっともっと勉強をしなければ書けそうにありません・・・。
とはいえやはり地方の地域が無くならないようにする活動、というのはどうも本質的ではなさそうです。
何らかの世界の構造が前提になっているために、
結果として地方を成り立たせないといけなくなっている、という感じがしますね。
その地域に住む人たち、また行政を中心とした各種組織たちが、
活きている限りその地域の活力を意識し続けないといけない縛りの中にいるというのは、
なんだか違和感を感じます。
見ている方向が正しくないという感覚。
それはそういう仕組になってしまっているからなので、
当事者にはなんの責任もありません。
ただただ地域の人の生活が円滑にまわることだけに注力できる社会にできないものか。
資本主義社会からは当面逃げられそうにないので、
国の舵取りだけは無くすことができないかもしれません。
でも地域に関しては、国の舵取りや采配次第で、
不要な意思決定を減らして住民のためだけの組織とすることはできないでしょうか。
観光協会も、「頑張ってアピールをし続ける」ことが本質的なのか。
この地域に関心を持ってくれた人に対して適切な案内ができればいいのではないか。
地域の営業活動が本質的な行動なのか。
諸外国はどうなのだろうか。
勉強しないといけないことが、たくさんあります・・・。
でもこの分野は興味関心があるので、
今回の記事をインデックス代わりに、ちょっとずつ知識を深めてアウトプットをしていきたいと思います。
今後どうしていくべきだと思うか
ということで現状としてはまだまだ勉強不足で、
「まずは正しく理解する」ことが最重要だと思います。
このブログで書いているような「感じていること、思っていること」は誰でも言えることなのですが、
本来は現状を正しく認識したうえで正確な情報をアウトプットするべきですよね。
ただそんなことをしていると何も言えない書けない状態にもなってしまう。
まずは継続して気になることをアウトプットし続け、
ちょっとずつ知識を深めていきたいと思います。
その都度情報を更新できるようにしますので、
今後とも宜しくお願い致します。
それではまた。