よく言われる「一日の集中力には限りがある」説は馬鹿にできない
一日の集中力には限りがあるつもりで生活をする方がいい
「一日の集中力には限りがある」考え方については、
正しかろうがそうでなかろうが、それを前提に生活を組み立てる方がいい。
田舎暮らしでもそう感じるので、
都市部にいたときのことを考えるとちょっとしんどいかな。
部屋から出た後の情報量や選択肢が段違い。
モノやコトを減らす&ルーティーン化でかなり削減できる
これもよく言われることだと思いますが、
まずは断捨離からだと思います。
モノを持っているだけで、置いているだけで無自覚に脳の一部を使い続けている感じがします。
コトも同様で、役割が増えたり予定が増えたり精神的にも物理的にも消耗します。
加えて起きてから寝るまでをある程度ルーティーン化すると無駄な思考が省けます。
こういったことは田舎でも都市部でも変わらないと思います。
田舎でも無駄なモノやコトや情報を抱えようと思ったらいくらでも抱えられます。
味気ない生活にはならない。むしろこの世はモノやコトや情報が多すぎる
減らすと聞くと寂しく聞こえますが、
もともとが多すぎるだけなので全く問題ないと思います。
一度一気に処分をしてみると、
きっと目が覚めると思います。
一気に処分をする時に、必要か不要かを判断するのですが、
その判断の工程を経ると、今の世の中にいかに不要なもので溢れかえっているかを認識できます。
資本主義経済もテクノロジーも好きだし楽しいのですが、
その仕組み上、構造上、どうしても身の回りにモノやコトや情報が溢れてしまいます。
それを認識して、対応をしないと、いつまでも時間やお金に追われることになって抜け出せない状況が続きます。
どんなことでもまずはゼロベースで考えて必要なものを残すべき
生まれて育ってきたこの環境が標準でも何でも無いという認識が必要です。
本来は裸で土の上に立っていて、
植物や動物を食べて日々を過ごすという毎日のはずです。
それ以外のものは全部足し算の成果であって、ゼロではありません。
ただ文明や文化やテクノロジーが全て悪いのではなく、
それらによって守られているものもたくさんあります。
それらがなかったら今頃生きていないかもしれないですしね。
例えば医療、治安、情報伝達技術等、必要な技術もたくさんあると思います。
一度ゼロベースで考えて、
上記のような最低限必要なものだけを残す、
その状態がかなり理想的な社会に近いのではないかと考えています。
ただその最低限のものを残すだけで、
それに付随していろんなものがついてくると思います。
そこで働くヒトが必要になるので、対価となる通貨の概念もついてきそうです。
完全に必要なものだけを残すというのは難しいと思いますが、
そこに向かっていくことで少なくとも今よりは本質的な社会になるはず。
今ある社会をベースに「今後どうしていくか」ではなくて、
本来あるべき社会をまずは明確にして、そこに向かうという考え方が必要なはずです。
利権、既得権益という癌がそれを阻むと思いますが、
人類と社会を信じています。