ちきりんさんの「摩擦回避・生産性重視」の表現に納得した話|Voicy・ブログ
嫌われるインフルエンサーの原因は正確の悪さのみだと思っていた
正直いまでもそう思っているところがあるのですが、
考え直すきっかけになったのは社会派ブロガーのちきりんさんのVoicyを聴いているときでした。
例えばズケズケとものを言ったりして相手に不快な思いをさせてしまうということ。
これは私が何人かのインフルエンサーに感じていたものと同じだと思います。
でもそれを「性格の悪さ」だと解釈をしていました。
まだそう思っているところもあります。
理由は言わなくてもいいこと(人を下げることなど)を言うから。
ただ「生産性に振り切っているから」と考えるととっても腑に落ちると思いました。
自分が想像している嫌われ系インフルエンサーはビジネス系が中心なので余計にそうなっているのかもしれないですね。
普段の思考やコミュニケーションをそのまま音声や動画メディアを通じて表現しているから、
多くの摩擦回避系大衆にとっては不快に感じるものになっているのかも。
こうやって書いてみるとやっぱり腑に落ちます。
思い込みはよくないな〜。
ちなみにブログ記事も見つけましたので貼っておきますね。
自分にできるかな?多分難しい
今後のWEB3.0の世の中も見据えて、
自分もいまコンテンツのストックを日々続けています。
ただまだまだ魅力が足りないし到底ファンがつくようなものでもないでしょう。
まずは継続してコンテンツをため続け、スキルと信頼を蓄積していくのみです。
その手段として、ひょっとすると生産性重視の歯に衣着せぬ表現ばかりが必要なのか。
だとすればそれが自分にできるのか?
摩擦回避系大衆の自分としてはちょっと難しそうです。
にも関わらず時々不満が文章に表れて、不要なタイミングで不要な表現をして単純に心象をわるくしそうです。
上述の生産性重視系インフルエンサーさんの表現は常に一定ですよね。
世間への不満や自分に牙を向いた人に対する非難をするにしても、
普段の表現の枠をでないように上手に遠回しに表現をしています。
それが透けて見えるからこちらの印象が悪くなるのだと思いますが。
ともあれ全ては生産性を重視しているための表現と考えるといろいろ腑に落ちそうです。
表現の仕方がどうあるべきと思うか
ではズケズケものを言って生産性マックスのコンテンツがベストで、
全ての表現がそうあるべきか。
もちろんそれは違うと思います。
摩擦回避系表現で問題なのは、
ちきりんさんのブログでもあるとおり何を言いたいのか分からないという自体になりがち、ということだと思います。
では相手の心象を配慮した表現で、かつ明瞭な表現が不可能なのか。
そうではないと思いたいし、追求するならそこを追求したいです。
多くの生産性重視系インフルエンサーたちはその追求を怠っているともとれます。
それは生産性を重視すれば不要な工程だからではないでしょうか。
「自分は全然怒らないしめっちゃいいやつです」という分厚いオブラートで包むのはとっても上手だといつも感心してしまうインフルエンサーはいます。
「自分は性格が悪いから」「ズケズケものを言っちゃうから」と言っているインフルエンサーの方がまだ好感を持てるし、コンテンツも楽しめます。そういう人はそのままでもいいような気もします。
でも自分は長く残っていくであろう自分のコンテンツは、
そんな心象の悪いものにしたくありません。
読み手・聴き手に気持ちよく読んだり聴いたりしてもらえて、
なおかつ明瞭な表現ができるよう、今後も勉強を続けます。